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真夜中の五分前 を映画館で観たいワケ

  • No Name No Name
  • 大切な人を失った時、どんな気持ちになるのか、、本当に想像することは、きっとできないのだろう。そんな日が来ることを、人はわかっているようで、きっとわかっていない。それは、人の命がなくなること、生きてはいても別れなければならないこと、形は様々だと思う。春馬君は、こういう仕事柄、別れには慣れていたはず、とは思いながら、そこには濃密な時間が流れ、短い時間がひとつひとつ重みのあるものであり、その時間過ごした人との別れは、決して簡単なものではなかったのかもしれないとも思う。精一杯を心尽くしながら、どうして別れになったのか、後になって疑問が生じわからなくなる時もあると。精一杯やってきた人こそ、後になって喪失感が襲ってくることもあるだろう。どこで、どう狂ってしまったのかと。春馬君が、もし本当に孤独を感じていたのだとしたら、男友達とわだかまりがあったのだとしら、きっとそれは春馬君が凄すぎることへの羨ましさが形を曲げてやってきたことで、あなたは、単に凄いだけだ、と言いたい。素敵な女優や先輩俳優にもたくさん囲まれていたのだから、決してひとりではないと。人はなぜ、羨ましい、すごいと思う相手を、素直に認めて喜びに変えられないのだろう。認めて、応援できないのだろう。こんなにも素敵な人が、なぜ、孤独を抱えなければならない人生になるのだろう。時々、作品を観ながら、憶測に過ぎない気持ちを綴りたくなる。今回は、「森の学校」「五右衛門ロックIII」「東京公園」の映画と小説を通して。どの作品も、心を問う内容から、そんなことを考えてしまった。この「真夜中の五分前」も含めて、本当に、自分自身の心の中を見つめる物語で、こんなにも、心と向き合う作品ばかりに出会う彼が、偶然に出逢ったものではないように思え、やはり、また作品を巡りたくなりました。何かを抱えている時、人は案外誰にも話せない気がする。抱える寂しさを吹き飛ばすきっかけを、パワーを、こんな作品達から、思い出し、感じて欲しかったなぁと、今も時々思ってしまいます。何かあったら、私は、春馬君の作品から、パワーを希望を見出す力を貰いたいなと、改めて思いました。何か誤った方向に行きそうな時に、映画や音楽、芸術に浸り、良いアイディアを、世界中が感じて欲しいなと、やっぱり、春馬君の作品を観て思うのです。どうか、世界が、みんなの心が、穏やかになりますように。そして、全国の待ち望む誰もが、パワフルで優しいキラキラした春馬君に逢えますように。。そして、いいパワーが、広がりますように。。

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