JavaScriptを有効にして再度アクセスしてください。
これが、1997年の作品・・・。 未だどこも少しも劣化していない凄まじい作品だなと、しみじみする。 この壮大さと荘厳さは、今まで何度か観たけれど、 今、久し振りに観ても、何ら衰えることのないテーマと作画。 そりゃ、制作費もドカンとかけたそれまでのジブリからは、 大きく方向転換したものではあった。 しかし、それにしたってだ。 宮﨑駿は飄々とその後の談話で、この作品について話しているけれど、 これがとんでもない自信作であることはやはり当時伺えた。 この歳になって、やっと分かることもある。 もののけ姫、という三つ巴も四つも五つも重なった大きな勢力の中で、 「アシタカ」が見せる神の行為が、どこまでも鮮烈で、 シシ神をも凌駕する意思を僕は感じてしまうのだ。 その生きとし生けるもの、いいも悪いもない万物を愛する思いが、 最終的にシシ神が一挙に解決をしてしまうのではあるけれど、 そのシシ神だって万能ではなかった。 実に多くの主題があり、同時に複数の主役があり、 アシタカだけでの「主」たるものではないと感じる。 勿論、時代性や世相の反映はある。 それを突きつけられたまさに僕らの世代には、 そこに大きなショックがありながらも、そこに応えようとしてきたか。 今現状の僕の目線から見て、少なくともただの娯楽映画ではない、 宮崎監督からの、(まぁ、いつもの)よりダイレクトなメッセージは、 確かに表面上だけでも伝わったように思う。 「黙れ、小僧」に代表される、そのままの《無》の世代。 その後のアニメや映画界、ビジネスやエンターテイメント、 そこに与えた打撃は確かに大きかった。 しかし、僕らはあの時、本当に理解していただろうか。 今、これだけの年月が経って、結果どうだったかを振り返ると、 結局は娯楽としてしか見られていなかった17年が物語っているように思う。 スケールがデカイ、だけでは済まされない映画は、 やはり劇場で観たかったなと、悔やまれる。 そして嘆かれる、ここに示されたメッセージがやっと届いた現実に。 大団円でこうなった、というその物語性こそが壮大だったと思わせた、 未だ少しも色褪せない、想いを胸に。
2014年11月17日 17:37
閉じる
もののけ姫 を映画館で観たいワケ
これが、1997年の作品・・・。 未だどこも少しも劣化していない凄まじい作品だなと、しみじみする。 この壮大さと荘厳さは、今まで何度か観たけれど、 今、久し振りに観ても、何ら衰えることのないテーマと作画。 そりゃ、制作費もドカンとかけたそれまでのジブリからは、 大きく方向転換したものではあった。 しかし、それにしたってだ。 宮﨑駿は飄々とその後の談話で、この作品について話しているけれど、 これがとんでもない自信作であることはやはり当時伺えた。 この歳になって、やっと分かることもある。 もののけ姫、という三つ巴も四つも五つも重なった大きな勢力の中で、 「アシタカ」が見せる神の行為が、どこまでも鮮烈で、 シシ神をも凌駕する意思を僕は感じてしまうのだ。 その生きとし生けるもの、いいも悪いもない万物を愛する思いが、 最終的にシシ神が一挙に解決をしてしまうのではあるけれど、 そのシシ神だって万能ではなかった。 実に多くの主題があり、同時に複数の主役があり、 アシタカだけでの「主」たるものではないと感じる。 勿論、時代性や世相の反映はある。 それを突きつけられたまさに僕らの世代には、 そこに大きなショックがありながらも、そこに応えようとしてきたか。 今現状の僕の目線から見て、少なくともただの娯楽映画ではない、 宮崎監督からの、(まぁ、いつもの)よりダイレクトなメッセージは、 確かに表面上だけでも伝わったように思う。 「黙れ、小僧」に代表される、そのままの《無》の世代。 その後のアニメや映画界、ビジネスやエンターテイメント、 そこに与えた打撃は確かに大きかった。 しかし、僕らはあの時、本当に理解していただろうか。 今、これだけの年月が経って、結果どうだったかを振り返ると、 結局は娯楽としてしか見られていなかった17年が物語っているように思う。 スケールがデカイ、だけでは済まされない映画は、 やはり劇場で観たかったなと、悔やまれる。 そして嘆かれる、ここに示されたメッセージがやっと届いた現実に。 大団円でこうなった、というその物語性こそが壮大だったと思わせた、 未だ少しも色褪せない、想いを胸に。
2014年11月17日 17:37